わが街、武蔵野市の歴史

武蔵野市の歴史は、先土器時代(1~2万年前)にさかのぼります。井の頭池周辺では、石器、土器、住居などの遺物が出土し、約4,000年前の縄文人の集落が確認されています。
その後、吉祥寺の八幡宮や井の頭池の付近から、鎌倉時代末期以降に作られた板碑(供養の石碑)が出土しており、この時代にも人々が住んでいたことが推測されます。

この地域に大きな変化が生じるのは、天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入城してからです。家康は幕府を江戸に置き、政治・経済、交通の中心地としてさまざまな整備を進め、江戸は人口百万を擁する大都市に成長します。本市の周辺は、幕府御用の茅を刈る茅場(御札茅場千町野(注))に指定されたり、将軍家や大名の鷹狩り場になっていました。そして、承応3年(1654年)に玉川上水が開通し、武蔵野の原野は農地として開発が進められたのです。 また、度重なる大火によって江戸市中の現在の水道橋や港区芝周辺から人々が移住し、吉祥寺村、西窪村が誕生。さらに開墾などにより関前村、境村もでき、4村が誕生しました。

明治時代には、現在のJR線も開通し、人口も3,000人に増加し郊外都市として発展を続けました。
昭和3年に武蔵野町になり、昭和13年に中島飛行機が武蔵製作所を開設しました。
太平洋戦争が始まると軍需工場として空襲の標的となり、昭和19年から20年の終戦まで10回前後の米軍の爆撃を受け全滅し、周辺の民家も大きな被害を受けました。

そして終戦から2年後の昭和22年11月3日、市制の施行によって「武蔵野市」が誕生しました。
戦時中の激しい空襲に耐え、その荒廃から立ち上がった武蔵野市は、市民とともにさまざまな施策を進め、魅力あるまちづくりを行ってきました。緑豊かな環境に文化都市を育む武蔵野市の取り組みは絶え間なく続いています。

(『2012年武蔵野市市政要覧』『武蔵野市役所HP』より一部抜粋)